野崎まど『know』の思考実験
最初は伊藤計劃『ハーモニー』と見紛うほど同じ構成で、大丈夫かな、とページをめくっていったけれど、徐々に筆者のオリジナリティーが出てきて、最後にはもう一度読みたい作家に入った。
テーマ自体は本当にシンプルで、「知る」って行為は究極的にはいったいどういうことなんでしょうね、という問い。
情報社会が押し進み、ちょうどグーグルグラスなんかを身に着ける人が出始めた今だからこそ、読む価値があると思う。
検索して《知る》ことと、自分が身体で「知る」こと。この二つの何が違うのか、いや違わないのか、それが本作が投げかける問いだ。
ちなみに舞台は京都。修学旅行で訪れたり、京都で大学時代を過ごしたり、そんな人におススメしたい一書だ。
Rule.1 レビュー作品の仮定を明らかにする
作品では、《情報材》なるフェムト(10のマイナス15乗)テクノロジーの結晶が重要な役割を果たす。
微細な情報素子をコンクリート・プラスチック、生体素材など様々な物質に転化、塗布し、通信インフラを作り出す。
この情報材は一つ一つが単独で周囲をモニタリングするため、そのモニタリング内容を「電子脳」という補助脳システムを組み込んだ人間が受け取れる、という寸法。
ナノテクなどで周囲状況をスキャニングする兵器などがSFでは描かれる気がするが、この作品はもっと先を描いている。
「情報が完全にインフラと同化する世界。」
これがオッカムの剃刀で切り取った際のこの本の仮定だろう。
以下、完全なネタバレ含みます。
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ブログ開始。
書く・遺す・遊ぶ
書くということは遺すということだ。例外なく。
内向的で平凡な僕は、大学生という貴重なモラトリアムの一部を、見事にハヤカワ書房に奪われた。たぶん、僕をひっかけたハヤカワの罠は『Self-Reference Engine』だったと思う。
僕の好きな本は、冒険小説だった。
あらゆる分野において。
幼少期は動物の冒険小説、そして中学になるとこの年代の例に漏れずナショナリズムな福井春敏の『亡国のイージス』などを読んだ。高校は大学受験の参考書のせいでお金がなく、仕方なく太宰治などの新潮文庫を読んでいたわけで、早川書房というレーベルの前に僕が立つことはなかった。金額も高いイメージがあったし。
大学生になると、小説の読書量が激減した。つまらない色あせた日々になった。
そこに仕掛けられていたのが、『Self-Reference Engine』だった。
わけのわからない面白さに圧倒され、その勢いで『Self-Reference Engine』と同時期に出版されたという『虐殺器官』を読む。
これが僕の生来の冒険小説好きとマッチングして、ハヤカワに引きずり込まれるきっかけになる。
そして、『ハーモニー』だ。
htmlを扱えるくらいのHPスキルを持っている僕は、そのSF的トリックに圧倒されたと言っていい。書物にこのような可能性があるとは、と僕は純粋に驚いた。Itoh Projectとかいう計「画」が実在するのなら、それはハヤカワの陰謀なのではないかと僕は思う。
そんなわけで、僕はSFと出逢った。
僕が思うSFというのは、社会のモデル化だ。僕は一応文系の学生(国際関係論専攻)なので、社会現象を分析するにはある程度の仮定を設けた上で実験を行う。SFとは、自然科学を使った社会のモデル化であり、ある条件下の社会がどのようにふるまうかを描く書物だと思っている。
で、あるならば。社会科学と同様、SFというのは書き手の思考を批評することが大事だろう。だから、僕はレビューが好きだ。僕が読んだ本を、どんなふうに他の人が解釈したのか、それを見るのが好きだ。とあるレビュアーの読書会に参加して、僕はもっと本を読もう、そしてレビューをいつの日か書けるようになろう、と決意した。
そろそろ、僕もトラップを仕掛けていいんじゃないか。そんなふうに思い始めたので、ブログをとりあえず開設することにした。レビュアーとしてでも、書き手としてでも、なんでもいい。ハヤカワ・レーベルに仕掛けられた罠を、僕が変換して、誰か一人でも僕の罠に仕掛けることができたなら。それは、僕の「書く」が「遺る」になった瞬間だと思う。
と、ここまで御託を並べたけれど、要はこのブログは僕の読書感想文置き場だ。楽しんでもらえるなら、嬉しいと思う。
Rules.
基本的にこのブログでは、レビューの際に
Rule.1 レビュー作品の仮定を明らかにする
Rule.2 レビュー作品の仮定から導かれた結論を考える
Rule.3 この思考実験の社会的意味を考える
の三大ルールに従って書いていこうと思っている。なので、タイトルは社会の剃刀。オッカムの剃刀をもじっている。ただし、感動した作品はきっとこの限りにはならないと思う。剃刀で剃りきれない作品だってたくさんある。それはそれで、別途書いていくことにしようかな。
以上。御託を並べすぎた。
最後になるが、僕の名は、沖黍(ときび)州(しゅう)。よろしくお願いします。