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読書のレビューがメインの日記。

沖黍州が送る、レビューメインのブログ。

うえお久光『紫色のクオリア』の思考実験

紫色のクオリア (電撃文庫)

 

初読したときは勢いに圧倒されました。

ライトノベルという「ジャンル」を定義するのは非常に困難ですが、本書はライトノベルの武器をふんだんに使った素晴らしい本だと思います。

文庫319ページの中に、躍動する時間、キャラクター、意識がちりばめられていました。

今度、本書を使って身内で読書会をやります。SF、ライトノベルを敬遠する人にこそお勧めしたい一書。

 

Rule.1 レビュー作品の仮定を明らかにする

本作の仮定は「人間がロボットに見える」女の子がいたら、です。もともと「ロボットと女の子」というテーマからスタートしたらしい本書のプロジェクトなので当然ですね。

ただ、この「人間がロボットに見える」女の子、ちょっと能力が強いようで、ロボットたちに命を吹き込んでいるような描写や、工具を使って生体を作り出す能力がある描写があります。有機と無機を行き来できるような触媒機能でも持っているのでしょうか。

 

以下、ネタバレ含みます。

 

Rule.2 レビュー作品の仮定から導かれた結論を考える(以下ネタバレ)

 

本書の結論は、「万物の理論」が完成して人の運命を変えられるとしても、人間が観測して測定できるのは自分自身のみで、他人の運命を変える権利は誰にもない――でいいのかな。私はこうだと思いました。

 

とりあえず、ライトノベルはキャラクターが命(違う?)と思いますから、登場するキャラクターを追いましょう。

 

毬井ゆかり

「人間がロボットに見える女の子」。JAUNT(敵?の組織。以下ジョウント)に掴まり、地球を治してほしい(人間が住みやすくしてほしい、なんでしょう。)、と頼まれたらしい。地球は彼女には壊れているとは見えないらしく、それを拒否。ジョウントは元から彼女の力は頼りにせず、「人間がロボットに見える」生化学的構造を調べようと脳を解剖調査。その結果死んじゃうんですね。

この運命を阻止するために奔走するのが、主人公の波濤学(ガクちゃん)です。

 

天条七美

ゆかりにジャングルジムを使って命を助けられた女の子。ゆかりと敵対。そしてゆかりの眼についての「解釈法」をいろいろ主人公に吹き込みます。

アリス・フォイル

天才児。なんの才能を天から授かったかというと、数学を図で表現できるという才能。

子どものころにその天才ぶりから母親に「悪魔の子」と呼ばれ、虐待を受け苦しんだために、保護を受けているジョウントに従順。依存質なところがみられ、主人公に付け込まれます。

波濤学(ガクちゃん)

毬井ゆかり曰く「汎用型ロボット」。これらのキャラが躍動するなか、主人公は「光」に近づくことを目指します。東京バラバラ殺人事件という事件に巻き込まれた主人公、波濤学は、毬井ゆかりの手によって携帯を使って左手を治してもらうことになります。けれど波濤学は最強の汎用型。左手は量子的に「左手」か「電話」か確定せず、場合によって使い分けができる、みたいなことになります。

その後ゆかりの訃報を聞いた後、フェルマーの原理を主人公は知り、光は取り得るあらゆる経路の中で、最小の時間で到達するルートを選ぶ、という光の性質にあこがれます。まずアリスを追い詰め、そして「毬井ゆかりを助ける」という結果を求めて、最小経路を追い求めていきます。その結論が、アリスによる「万物の理論」の完成でした。

「万物の理論」が完成した以上、決定論の立場に立てば主人公は「ウィグナーの友人」のパラドックスに出てくる究極の観測者になりそうです。そしていつの間にか主人公は並行宇宙を選択できるような状態になっていたので、こうなると自分の都合のいい観測結果の宇宙を選べばよくなったようです。主人公は「自分がいなくなった世界」を求めました。おそらく自分が存在する状態の世界のままでは究極の観測者足り得ない(誰かから観測されてしまうから)ので、メタ宇宙の存在(概念と呼ばれました)になろうと決意したのでしょう。

 

さて、こうしてめでたく宇宙は一度書き直されて、ジョウントからギリギリで毬井ゆかりが救い出されることになります。めでたしめでたし……と思いきや、毬井ゆかりの眼は「概念」となった波濤学(※ 最強の汎用型ロボット)の姿を捉えます。毬井は学の数々の努力を受け止めつつ、こう言い放ちます。

 

「わからないの? ガクちゃん。なにが間違っていたのか。どこに問題があったのか。きっと、あたしが観測できる以上、あたしの運命はガクちゃんには変えられない――」

≪――え?≫

 

「あたしの運命を変えていいのは、あたしだけで、ガクちゃんに、そんな権利はないんだよ?」

文庫『紫色のクオリア』p.284

 実は個人的にここが一番分からないところでした。『万物の理論』によって書き変わった宇宙において、波濤学の存在はいったいどうなっているのか。本書では、ちゃんと「概念」の波濤学と普通の人間の波濤学'の両方が存在するのです。「人間がロボットのように見える」毬井からは、波濤学'が基本のロボットで、そこからいろいろユニットを組み替えまくったように波濤学が見えるのでしょうか。

理屈はともかく、ここまで圧倒的ペースで進んできた物語を毬井はものの見事にちゃぶ台返ししました。(このちゃぶ台返しに納得しなかったのが有名な『魔法少女まどか☆マギカ』の劇場版ですね

 

本書のみそは多分ここにあります。