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晋彗の自殺的行為の推測 神林長平『膚の下』書評

以下、2013年くらいに最高に鬱々していたときの書評。私は今でもマージナルマンかな。

 

 

 

前に言及したかもしれないが、神林長平氏が著した『膚(はだえ)の下』はあらゆる意味で素晴らしく、美しい小説。

私が生きているギリギリのラインを保ってくれた書物でもある。

 

https://www.youtube.com/watch?v=_1vMpY6MlKQ

この、小説から派生したボーカロイド(人間より上手いじゃん!)の曲を聞きながら、今回は流星の如く現れ消えてしまうキャラクター、晋彗の行動を考えてみたいと思う。

 

何故かって? 今、晋彗に共感する気持ちだからだ。

 

【前提:晋彗登場までの『膚の下』の概略ストーリー:ネタバレ有】

月を巻き込んだ戦争の末、月は爆破され、その破片が地球に降り注いで、地球はたくさんの人が住めない星になってしまった。

そこで地球政府は、テラフォーミングに成功していた火星政府と協力し、火星にて250年の人工冬眠によって眠りにつくことにした。

250年の間、人間が冬眠している間、力強い「機械人」とそれを監視するための分子レベルから設計された人造人間「アートルーパー」を地球に残すことにした。

ところが、である。火星に全人類を連れて行くというのは容易ではない。地球に残るという意志を持つ残留人組織とそれを火星に連行する国連軍のバトルになる。

その内、国連軍はアートルーパーには効かず、人間には効く「スネアシン」という化学兵器を使用する。これは、紫外線にさらされると皮膚が癌化し、地上で住めなくするという兵器である。これをアートルーパーに使用させ、アートルーパーを残留人組織との戦闘に駆り出そうとする。

主人公のアートルーパー慧慈は、アートルーパーの存在意義は元々は「機械人」を監視し地球を復興させることのはずなのに、人間の戦争に巻き込まれることに憤りを感じる。そして、アートルーパーとしてのアイデンティティとは何かを考え始めていた。それを成し遂げるためには、国連軍から離脱する必要があると感じていた。慧琳、ジェイ、エム、ケイといった別のアートルーパーも、慧慈の考えに共感していた。

しかし、そこに晋彗というアートルーパーが現れた。

 

 

【晋彗の特徴】

晋彗は他のアートルーパーと違い、自分は人間である、ということに拘っていた。このことを慧琳、ジェイ、エム、ケイは異端視するが、慧慈は晋彗は病気にかかっていて、我々アートルーパーでしか治せない、という。慧慈と慧琳は言い争う。

 

「答えろ、慧琳。晋彗がアートルーパーでないなら、なんだ」

(中略)

「晋彗は、アートルーパー以前の状態に退行した人造人間だ」

(略)

「われわれも、生産された直後はそうだった。教育を受けてアートルーパーに成長するんだ。だが、ときどき、なんらかの原因で、退行現象を起こす。いまの晋彗は、その状態だ。リフレッシャーにかけるか、個別指導が必要だ。今作戦の任務がこなせる状態ではない」

「わたしなら、もっと端的に言える」

「ぜひ、聞かせてくれ」

「晋彗は、病気だ。治療が必要だ。人間にはおそらく治せない。アートルーパーにしか、できないだろう。(略)」

 

『膚の下』(上)、p.588-589

 

そして、事態は進行し、残留人組織が「ミックロック」という特殊弾頭を付けたミサイルを横浜に着弾させる。ミックロックはナノマシンで、そこにある物質全てを破壊し、それを元に都市を建設するものだった。そして国連軍のアートルーパー使用将校梶野少佐は、ミックロックの現地偵察に、晋彗を使う、と提案する。梶野少佐の言葉がこれだ。

 

「そう、あれは、きみたちとは違う。欠陥品なんだそうだ。あまりいい出来ではないというのは、きみたちも承知しているだろう。あれはアートルーパーになり損ねた、失敗作だ。(略)」

 

『膚の下』(下)、p.53

 

慧慈はこれにショックを受ける。晋彗は人間に従順に生きているのに、それが受け入れられずに棄てられる。

これは死にゆくものへの酷い扱いだ、と主人公慧慈は発憤し、晋彗にミックロック現地偵察の本来のことを告げる。同時に国連軍からの離脱を図る。

 

晋彗に事実を告げたことと同時に、国連軍に叛乱を起こす。主人公の叫びが涙を誘う。

 

「晋彗は生きているし」と慧慈は叫び返してやる。「生きたいと言っている。殺されたくない、と叫んだんだ。アートルーパーのわれわれは、それに耳を傾けただけだ。人間には、生きたいと言っている生命(いのち)の声が聞こえないのか。われわれは。生きたいと願っている者を支援しているだけだ」

 

『膚の下』(下)、pp.79-80

 

この過程で、晋彗は俺じゃなく人造犬(サンク)が行けばいい、と言い、サンクに発砲する。ここからの晋彗の台詞は泣ける。

 

「犬を撃つなんて、どうかしていた」

「サンクを撃つつもりはなかった、というのか、晋彗」

「なにも悪いことはしていないのにな。サンクはぼくも、好きだった。ぼくにもなついていたのにな……どうかしていたんだ。ずっと、自分はどうかしている、という感覚だった。再教育に回されたときからだ」

「なにがあったんだ」

「自分の膚が鱗でおおわれていたり金属だったならば、人間になりたいなどとは思わなかったかもしれない……どこが違うんだろうな、慧慈軍曹? アートルーパーと人間とは? ぼくは、なんなんだろう?」

(中略)

「ぼくは、犬を助けたかったんだ。自分は犬ではない、と思いたかった。人間なら、見捨てられることはないって。でもぼくは、人間でも、犬でも、動物でもない、と言われた。では、なんなんだ。この身体のどこが、人間とは違うんだ? サンクは愛されているのに、ぼくは、嫌われる。理不尽だ。でも、撃ってはいけなかった。どうかしていたんだ」

「……晋彗」

 

『膚の下』(下)、pp.84-85

 

そして晋彗は、何かを確認するために、単身でミックロック爆心地に乗り込む。晋彗がなぜ人間になりたがっていたのかは、自分が可愛がっていた犬が、調理されるというトラウマがあったから。いつ殺されるか分からない状況下で、晋彗はなんとか人間であろうとして心理的恐慌を乗り越えようとしていた。

 

『サンクは撃ちたくはなかったんだ』と晋彗は言った。『でも、撃てば、認められると思った。人間になれると。きっとそう思ったんだ、あの時。でも、だめだった。だめだって、最初からわかっていた。でも、あのときは、自分が食べられてしまう、という気分だったんだ。やっぱりそうか、と思ったんだ。いままで人間の振りをしてきたのが、まったくの無駄だった、ってことだ。とても悲しかった。でも、どうして、人間には、アートルーパーとそうでないヒトとの、区別がつくんだろう、どうしてぼくは人間になりきれないんだろう、臭いでわかるのか。そんなふうにも思った』

「ああ、晋彗、それも、分かるよ」

(中略)

『慧慈』

「なんだ」

『ぼくは、やっぱり、人間になりたかったよ』

 

『膚の下』(下)、pp.104-106

 

この発言で、晋彗はミックロック爆心地に近づいた理由を失ったはずだった。人間か、アートルーパーか、どちらになりたいのか。その確認を終えたはずだったからだ。ところが晋彗はさらにミックロック爆心地に近づく。

 

『外に出て、この身体で確かめてみる』

「もう十分だと言ったろう」

『なぜ、邪魔をするんだ。あなたが勧めてくれたんじゃないか。教えてくれたんだ。確かめに行くのだと。なにを確かめるのか、分かったよ』

「なんだ」

『材料が違っても、組み合わせがちょっと違うと、違うものになる。あたりまえのことだけど、逆に見るなら、違うものも、結局は同じなんだ。形が変わっても、自分は同じだ。きっと、そうだ。確かめてみる』

(略)

『行ってくる。べスも連れてくればよかったな。とてもいい気分だ』

もはやスモックのアートルーパーたちは、なにも言わなかった。無言で、電子戦車の外部映像を見守った。

晋彗が歩いてタワーの崩れた山のほうに行く姿が映った。ゆっくり歩いていく。だんだん、よりゆっくりになる。

そしてついに立ち止まり、前を見たまま、言った。

『聞こえるか、アートルーパー。ぼくは違わないよ。なんでもよかったんだ。ぜんぜん、悩むことはなかったんだ。犬でも人間でも、なんでも同じ――』

晋彗は振り返った。その瞬間、全身が、一瞬にして灰色になった。そして硬化し、粉体となって、崩れ落ちた。

「晋彗……なんてことだ」

いろいろな面で、慧慈には信じがたい光景だった。現象としても、晋彗のその行為や心情にしても。想像していた以上のことが、起きていた。理屈としては晋彗の最後の言葉は理解できた。しかしその気分、晋彗が生命をかけて体験したその感覚は、わからなかった。

晋彗、きみはなにを確かめたのか? そのような粉末になっても、きみはきみだというのか?

それが、慧慈にはわからなかった。どう見ても、灰のような粉末になって風に吹かれて拡散していくそれと、元の晋彗の肉体とが、同じ存在とは思えない。

 

『膚の下』(下)pp.108-110

 

というわけで、晋彗は主人公たちが遠隔操作で見つめる中、自殺とも思える行為を行う。

しかしそれまでの主人公との会話は、晋彗が自身のアイデンティティを探しもがき苦しんでいる様を克明に描いていると私は思う。

 

さて、ここからが主題である。

 

何故、晋彗は自殺的行為を取ったのか。

 

晋彗は元々べスという犬を助けようとし、その犬が調理されたことでショックを受け再教育を受け、その過程で人間になることが即ち生きる戦略なのだ、と考えていた。ところが、梶野少佐の調査命令により、自分が人間扱いされていないことに気付く。

そこで、おそらく晋彗はアイデンティティの拡散に陥ったのだろう。

自分が何者か、という呪縛に。

 

だが、ミックロック爆心地という危険地帯に近づくにつれ、やはり晋彗は自分は人間になりたかった、という。

しかしそれでも、晋彗は爆心地に近づく。

これは何故なのか。

 

『聞こえるか、アートルーパー。ぼくは違わないよ。なんでもよかったんだ。ぜんぜん、悩むことはなかったんだ。犬でも人間でも、なんでも同じ――』

 

この台詞にすべてが集約されている。

晋彗は、ある意味思考を放棄したかったに違いない。人間でもアートルーパーでも粉末でも、何でも一緒なら、自分は悩む存在でなくなりたい。

これが晋彗の思いなのではなかろうか。

 

『膚の下』は火星三部作というシリーズ作品の三部作にあたるが、第一作ではアンドロイドの主人公が動物に戻されるシーンがある。第一作の主人公も自分の生きる意味をずっと考えている人間だが、その最後の描写はこうだ。

 

身体が落下しはじめたとき、誠元はもう自分がなんであるかを考える脳はもっていなかった。まっさかさまに落ちる。

誠元だったそれは、迫ってくる大地に気付くと本能的に手を打ち振った。

手はなかった。黒いつややかな翼が力強く空気をたたいた。翼は軽くなった身を空へと持ち上げる。そのまま誠元だったそれは高く舞い上がり、二度と自分はなぜ生きているのかと問うことはなかった。

 

『あなたの魂に安らぎあれ』、p.438

 

膚の下では、慧慈は晋彗の死も引き金となって、アートルーパーとして生きる道を探し出し、完結させた。けれども、アイデンティティを確立できる人間がほとんどとは思えない。レヴィンの言う「マージナルマン」という言葉があるが、自我意識、社会的意識を備えた「オトナ」を私はそんなに見ている覚えがない。単に学校から企業へ移るだけのマージナルマンが増えているだけではないだろうか。

そんなマージナルマンがアイデンティティについて悩みだすのは、死に至る病だろう。晋彗がそうなのだ。僕はそう思う。